前常念の石室資料館へ


北ア常念岳フリークの私としては(笑)、かねてから行きたかった当施設へ見学に。
家から往復30kmのランニングでいこうとおもってたけど、昨日から眠れる右足親指がずきずきしてるので
(痛風発作の予兆💦)、寒空の下チャリを漕いだ。すこしは運動になったか。

古くは明治以前、北アルプス南部へのルートは、安曇野から一の沢沿いに常念乗越をパスして、一の俣沢から
槍沢へと出るルートがメジャーという。
そのルートで1894年(明治27年)常念岳に登頂した記録が、いわゆる英国の登山家ウォルター・ウェストンである。

それ以前の文献は読んだことないが、おそらくこのときガイドをした藤原啓太などはもちろん登っているものと推測できる。

その後、堀金小学校校長の山口氏によってできた、常念岳研究会にて、あの三股ルートの前常念の石室(いしむろともせきしつとも)、
いわゆる避難小屋が大正時代に建設されるのである。
よく通るあそこだ。ちなみに昭和40年代に修復工事をしている。

しかしだ、100年以上前に書かれた、ウェストン直筆の常念岳登山の記録やそれを訳したものなど読んでいて、
また写真を観るにつけ、とかく手つかずのまま残されている自然の遺産であるこの山々の情景が、現在と昔で
つぎつぎにオーバーラップをはじめる。

上の常念坊乗越小屋(現常念小屋)で大正時代に撮影された、豊科女学校(現豊科高校)の女生徒がみた100年前の風景は、
小屋をのぞいていまとなんら変わらない風景があったはず。
セピア色の古写真のなかの15、6歳の彼女たちが、いまにもスチールのオキテを破り、キャーキャーとあけっぴろげに
躍動する光景がありありと浮かぶってものである。

「あの尖がったのが槍ヶ岳ってコイてるんじゃね~、あぁゴシタイ」←松本弁でこんな感じか?

これだから歴史は面白い。

大正期、小林喜作によってできた槍ヶ岳への画期的なルートである喜作新道によって、マイナールートに転落した、
東大天井岳から二ノ俣尾根、二ノ俣谷からの槍沢。おなじく常念乗越から一ノ俣谷をぬけるルートへの興味が
俄然わいてくるものである。

4月以降、SHORT SKIMOで滑りたい沢はすでに決まった!

70回以上入っているこの山域だけど、さらに興味深くなったわけ。こんごはまた違った視点でこの山をみるのだろうと
おもうとそれだけでワクワクしてくるのだ。
北アルプス大百科を買って読んで山が楽しくなったように、今度は歴史をもっとディープに知ってさらに楽しむ方法をさぐってみたい。

といっても、当公園は安曇野全体の歴史文化を知るにはよいが、山の資料館はここだけ。
大町山岳博物館に今度はいってみようと思う。

◎国営アルプスあづみの公園の里山文化ゾーンの堀金口からが近い。公園入場料は450円
HPはこちら

いつも読んでいただきありがとうございます☆

コメントを残す