※雨飾山/金山SKIMO2013/こちらはMt-channel(やまちゃん)の28thのオープニング動画です
さて、西田由香里といえば、華々しいトレイルランニングの世界でのヴィーナスというイメージが強いだろうか。
2011年から、北アルプスや林道スキーやRUN、または里山朝練ふくめ、400回弱いっしょに山に入ってきた私のイメージでは、
トレーニング目的で山に入るときももちろんあったが、地元にそびえる北アルプスをはじめとした、ビッグマウンテンを登って
稜線を楽しんで走るなど、山そのものを楽しむイメージも、また色濃いもので。
しかも、トレイルランニングの域に収まらず、私が知ってるだけでも、MTB(表彰常連)、クライミング、BCスキー、
テレマークスキー、スノーボード、冬山登山、縦走登山など。
2014年からはじめたSKIMOも、ゲレンデを滑ることは決してうまいとはいえなくても、サーフェイスが不規則で難しい
北アなんかでは、抜群のスピードと技量を誇っていたようにおもう。とにかく実戦向き、山の人だった。
前記事に書いたが、私は山がないと自信がない…。
自分のもっとも情熱をそそげるものが山ということを、彼女自身がもっとも知っていたんだろう。
私がもっとも活躍、いや輝く場所、それは山。
山に入って、帰って来て心身の健康を維持し、みずからをバランスし、家族や友人、あらゆる人間関係その他との調和をとる。
山と子育てを中心に、純粋に自分の使命に生きていた人だ。
それは簡単そうにみえてなかなか出来る人はいない。だからこそたくさんに共感をよんだにちがいない。
とにかく、登山がおわればつぎの登山計画をやっていたそうで、SNSやブログを使った情報収集の目利きは鋭く、また
自分でマップを睨みながら、線をつなげてルートメイクすることもまた好きだった様子。
私とのコンビでいえば、登山アイデアは8割以上は彼女におうところがあったと記憶している。
こんなエピソードがあった。私が2009年に初フルマラソンを完走した3日後に、かねてから計画してた家の玄関開けたら
そこが登山口、という家から常念まで走って登って帰ってくる、家常念岳(いえじょうねん、往復75㎞)を公開した。
ついで、2010年は超家常念といって、さらに蝶ヶ岳をプラスしたものを決行。
※山の本に掲載。またヤマケイの寄稿では奇行ということで寸前までいってボツ(笑)
「あの家からシリーズはイイネ。体力あれば車をデポしなくても北アをラウンドできるし」と彼女。
おおくの時間を山でペアを組んでいた私にとっては、自分流のソロで行っていたすこしユニークな登山や、またユニークな
ルートを彼女から褒められたり、感嘆されることは、山にいくうえでのかなりのモチベーションであったな。
それは、おおくいっしょに行かなくなったここ3年もいっしょで、山行後の記事で、コメントやメッセージがくると、
嬉しいものだった。
またこんなエピソードも。春にチャリとシューズとSKIをつかった”チャリ常念”をソロでやった私の投稿をみて、
夕刻電話がかかってきた。
「ちょっと~!なにそれいいじゃない。おしえてよ」
ルート、時間、チャリのときのスキーの処理、シューズデポなど、執拗に質問してくるのが彼女のスタンス。
翌日、”これはパクリです”と口外しながら、さっそく決行している行動力とパフォーマンス(笑)
自分流に味付けして決行し、さらに人々を魅了する人柄。
話はもどって、いっぽうで槍ヶ岳1DAYや槍穂高1DAY、常念岳厳冬期1DAY、チャリ常念SKI(チャリとシューズとSKI登山)
などの、岩稜帯/エクストリーム系は、やはりこちらのアイデアが勝っていた。とくに危険な急斜面を滑る山SKIやバリエー
ションルートなどは、慎重に考えて一線をひいていたようにも思う。
かなりの慎重派で無理はしないタイプ。
逆に、ちょっと危険そうなコトをしている私の投稿をみて、お咎めをうけたこともしばしば💦
「ちょっと、気をつけてよ!!怒」
※2014年秋の槍穂高1DAY。お互い、メーカーサポートの恩恵にあずかっていたので、簡易動画ながらも発信にはとくに
力をいれた
このような岩稜帯やテクニカルな足場では、やはり筋力に勝るわたしがリードすることがおおかった。
また、岩場の降りや雪山のアイゼンワークなどはとくに慎重だった。
10年以上前だろうか、一度山岳会の雪山山行のときに、とある雪渓のトラバース中に滑落したらしく、以降アイゼン歩行や、
春の雪渓下りなどは苦手意識が強く、かといって慎重にかつ着実にこなしていたようにみえた。
しかし、動画にあったような小谷のスキーでは、氷化した急斜面のトラバースなんかも、スキーのエッヂを斜面に食い込ませながら、
私たちにしっかりついてきていた。いまおもえば、かなり高度なことをしていたはず。
※今回の事故の際、通年でアルプスに入っているエキスパートである私もよく知るリーダーからすると、アイゼンワークは
まったく問題ないと言っていた。また事故のときは無風。世間で十把一絡げに事故を伝えられることはある意味仕方ないが、
こういうことは彼女の名誉のためにも伝える必要があるとおもっている
さて、この槍穂高1DAY。朝一のバスで上高地に乗りつけ、岳沢小屋経由で前穂高に登り、吊り尾根、奥穂、白出のコル、
北穂、大キレット、南岳、槍ヶ岳とピークハントをし、上高地の最終TAXIに滑り込むという想い出深い登山だった。
とくに西田由香里は、ヘルメットを脱いでからの走るモードから、俄然耐久力・持久力・メンタル力を発揮し、槍沢左岸の
アップダウンは本当にどっちが先にタレるかの我慢比べ!こういうプライドをも賭けたガチRUNはよくあった。
明神の灯りがみえたとき、心底ホッとしたのをおぼえている。
TAXIを逃すと、釜トンネル抜けるまでさらに走らなければならない。
おそらく冗談じゃない、とばかりに私のが必死だったかも(笑)
季節は秋、疲労困憊しかも汗冷えしたTAXIから降りると、すぐさまクルマを運転して温泉に飛び込んだっけ。
中華料理屋でノンアルビールで乾杯したけど、食事はあまりノドを通らないくらい疲れ切っていたな~。
※2013年、翌年の2014TJARの試走もかねて
本コースで使用するセクションを遥かにしのぐ中央アルプスにて、ほぼ全山縦走1DAY。もちろん西田由香里のアイデア(笑)
といっても、雨の夜眠気に襲われたまらず高度を落とし、寒い中ハイマツ帯でビバークをした。
しかも最後の奥念丈など破線ルートでは、なんと藪漕ぎ3時間超(笑)
この登山も、やはり岩稜帯と藪ということで終始わたしがリードしたが、大変すぎてこちらもとくに想い出深い山行の一つ。
当時は、私のバリエーション登山などの発信や、こうして山岳番組をやりながらの動画発信はチャラチャラしてみえるのか、
様々な批判の声はとどいたけど、決して遠慮することはなかった。
なにかあったらどうする!人が真似したらどうする!など。
そういう言葉が、新しい可能性の芽を摘み、イノベーションやカルチャーに繋がらないんだよ。わかるかな?
人が真似したらって、相手はいい大人でしょう。
そんなことも西田由香里は納得し理解のうえで、妻、母親などいくつもの顔をもちながらも、真摯に山に向き合っていた
ように思うし、こんな得たいのしれない私のプロジェクトにも賛同してくれていた、稀有な人だ。
※かといって、こういうことやるには日々のトレーニングやかなりの練度が必要です。安易にはやらないでください
○今回も読んでいただきありがとうございます。
次回は、西田由香里の得意な極上トレイルを走る話題の予定です
田中ゆうじん