The memories “YUKARI NISHIDA” #6 極上トレイルとSKIMOレース


※岩手山スピード登山/DYNAFITからのリクエストで東北遠征の際に登った岩手山は紅葉まっ盛り。
講習会も楽しんで新たに仲間もふえた充実の2DAYS

山における西田由香里といえば、TJAR2014を完走した屈強女子アスリートで、トレイルランニング界における表彰台常連の
イメージが強いだろうか。
そのなかにあって、彼女がつねに感嘆の声をあげていたのは、岩でもない、雪でもない、もちろん藪やバリエーションでもない、
他ならぬ”極上トレイル”だったとおもうのだ。

ザレてもよい、水たまりでもよい、クラッギーでもイレギュラーでもスティープでもよい、
四季を感じながら、どこにつづくかわからぬ一本のトレイルに魅せられていたようだった。

一躍その名をはせた2012~2014年をへて、不調つづきだった2015年には、「いままでがむしろラッキーだった」と謙虚な姿勢も。
ただし、レース以外での普段の登山では、そんな葛藤を内包しつつも、山で極上トレイルを走れているときはまさに、
水を得たサカナの様だった。ウェア類や道具はもちろん、行動食のアイデアやアレンジも多彩で、存分に楽しんでいる様。
とにかく、山で楽しむためのアイデアをつねに追求していたんだろう。


※甲斐駒ヶ岳スピード登山/定番の黒戸尾根から


※美ヶ原スピード登山/2014年美ヶ原トレイルランのプロモーション用も兼ねた茶臼山からの絶景トレイル。
カラーコーデが雑で、反省m(__)mしきりの様子だった(笑)


※強いデンマーク人との常念岳アテンドスピード登山/一の沢ルートのおなじみ常念岳は、いつものごとくハイスピード!
風邪気味の西田由香里は、じつは山で快復することを知っていた!?

結果をだしつつある頃、いきおい山に傾倒しすぎるきらいがあったのだろうか、山で思うような走りができない、
また家事も最近おろそか… そんなときは、下山後に大泣きしたまま家路につく、そんなときもあった。

トレイル(山)は彼女にとって、家族同様に、いや家族や自身を幸せにするためにもっとも大切な、
アイデンティティの確立に不可欠なものであったのだろう。



※2019/2/23に開催された、4th PARADA SKIMO NIGHT RACE では、常連だった西田由香里の追悼もかねた
スペシャルな夜となった。ちなみに第一回から参画してる私はMCで!
笑いあり緊張感ありのセレモニー中、ときおり眼に涙を浮かべながら追憶する選手もいた。
なんだか本当に仲間って良いなぁ~って実感したよ。仲間ってさ!


※写真左、松澤幸靖。中央、宗近栄治。パラダナイトレースのあとは、おなじみ幸靖さんの佐久アパートへ。
宗ちゃんも急遽来るということで、3人でお手製ユキヤス煮物をつつきながらBEERしつつ、しめやかにそれでいて
ときおり笑いながら、SKIMO&西田由香里の話題で26時まで語りあった

実行委員長で日本を代表するSKIMO&スキーヤーの松澤幸靖さんは、西田由香里が不運な事故をおこした2/10夜、
トレイルレースで山口県にいるわたしへ電話をかけてきた。受話器のむこうでは嗚咽しながら、
「今年のナイトレースやめよっか…」と。「いいえ、むしろしっかりとやりましょーよ」の提案に、そっか、わかった…と。
自分のキモチ云々よりも、悲しんでる皆を感じることがなによりも悲しかった。

もちろん、すでにこのまえには、当時からなにかあったときのホットラインである、ご主人とはじめての電話の際
(お会いしたことはなんどもある)、受話器のむこうで、むせび泣くご主人。
「うそだよ。あぁぁ、これは悪い夢でもみてるんだ」と、なにがなんだか理解不能だったな。
松本と山口県という物理的距離感がまた、リアリティを遠ざけた。

ところで、2019年の今シーズン。西田由香里のSKIMO(スキーで登って滑るアクティビティ)レースは、
1月の栂池ナイトがインフルエンザ罹患で棄権。
翌週、東北にて2カテゴリーで優勝したようだ。そして、つぎはこのPARADAであった。

2014年からSKIMOレースにも参戦し、まだまだ層がうすいのもあったか表彰台はここでも常連となった。
ただ、彼女の人柄がみえてくるのは、業界をもりあげるべく、以前から業界にいた私の提案にも即断してくれ、道具やウェア類の
実用動画にも二つ返事で承諾。
講習会をやれば、遠く白馬・栂池エリアにもたくさんの受講者を招く独特のキャラを、存分にいかしていたのだった。
またDYNAFITの飯塚さんやイザベルにはとても理解と協力をいただき、後押ししてもらった。


※爆笑プチ仮想山岳スキーレース@栂池
ただし、中間駅からヒヨドリ峰の難しい尾根をハイクアップして、さらに一滑りしたあとの余力で。


※いかしたSKIMOレースの模様の一部を

ただ意外にも、周囲の仲間からは、勝っても(優勝)どこか満足してない様子にもとれたみたいだ。
なにか本調子に戻らない自分の実力に焦っているのか?
それとも、つぎなるフェーズを模索しているのか?

山に、400回弱彼女といっしょに入ってきた私は、昨秋に彼女からいただいた、「雨飾山にいっしょにいかない?」以来、
下の子が保育園にあがる今春からあらためてオファーの準備をすすめていた。
※雨飾山は仕事の都合で残念ながら行けなかった

「第2章をスタートするので、たまにでいいからまた山行きますか!?」と。
返答はもちろん得るはずもないが、体力がそれなりに回復し、環境がととのいつつあり、さらに粗雑に言わせてもらうとすれば…
山ですこし退屈そうにみえた”西田由香里”のつぎなるフェーズを、同様にあらたなフェーズに入ったばかりの私のチャンネルで
躍動してもらうことが願いであったし、考えるだけでワクワクしていた。

あの、WEB=TVでの名物コンビが、キャリア(老獪??)をつんでさらにパワーアップすると。
絶対にうまくし、うまくいかないはずがない、と。

とまった時計を約3年半ぶりに動かすべく、わたしはMCの勉強を兼ねて、3年半ぶりのトレイルレース出場で、
2・10は山口県に遠征。瀬戸内の風光明媚な笠戸島にある会場には、開会式がはじまる7時45分には会場にいた。
奇しくもあの日あのとき、彼女は、左足のミスが致命傷となり、天国へいったのであった。
※事故の状況は誤認識の可能性もあるので、真実とは限りません。そのときがきたら、詳細に触れることもあるかもしれません

まだ夢をみているようだ。
いったいこの夢はいつ覚めるのだろうか?
いや、ひょっとすると、この人生そのものが夢なんじゃないだろうか?

私もいまや47歳。いまを生きるということが、その時間を超越した概念だということを、時の経つ速さをいやおうにも感じる
この歳になり、あらためて実感している。

つぎは、追悼シリーズ記事はラストとなります。
ひきつづきよろしくお願いします☆

いつも読んでいただきありがとうございます。

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