THANKS☆やまちゃん:Mt-channelを卒業します。1/2

やまちゃん(Mt-channel:日本初の山岳系Web TV)スタートのきっかけは、たしか、内なる熱きおもいを山岳雑誌各社へ寄稿(奇行?笑)、企画書など、なんど提案シテモシテモシテモ、いいところまでいってボツ!
になる経験をした、私ゆうじんのTwitterでの叫びだったとおもう。
(誤解なく言いますと、いわゆる則って書いたものは、ありがたく当時いくつか掲載してもらってますし、つまり欲張りなんです…)
これら、私ども家族が東京→松本へ移住した当初の、2008~2010年だったか。

そして、2011年のあの大震災……。
どうじに、長野県の北にある栄村も大変被害に遭い、ボランティアとして現地に行った。

その後、よし、人に乗っかって失望するのなら、じぶんでやりゃいいじゃん。
ちがわねーだろ?

以後、すでにブログで顔出ししてたのに乗じて、北アルプスでの自撮り動画の公開スタート。(当時から、家常念といって、家から登山口まで走って登山して帰ってくるなど、エクストリームネタを優先に色々してました)
ただし、ヤル気はあってもどんなスタイルのメディアが最適なのかはアイデアに乏しく悶々としていた。裏腹に、活動だけはさらに活発化。

でも、ワクワクや情熱だけじゃなんだかすすまないし、ハードや指針を決めたいよな~と。

また、2018年で8回目を迎える美ヶ原トレイルランの第一回大会もこの2011年夏で、自撮りでコース案内するなどして、オリジナル色をだしていったっけ。

そんな発信を繰り返してたとき、ある日、その筋の男が近寄ってきてくれたんだね~。
ワコタという男だった。
「Mt-channelという名でUSTREAMをつかい、ゆうじんさんがいう新しいメディアづくりしませんか?」

直前に、ネタ的にみずから仕掛けた”第一回野麦峠トレイルラン35K”にて、お互い選手として公開罰ゲームをかけて戦ったその相手(笑)
あぁ、こんなイキのいいやつが松本にいるんだなぁ、と大変うれしくおもったのをおぼえてる。しかも、初対面のときは、けっこう男前だな!とおもった笑

結果は、たしか40分のハンデをあたえつつも、超真剣勝負をして私が辛勝。その後、動画というこちらからのギフトで友だちになった4歳年下の、わたしとは生き方その他が真逆の公務員だった。
(ちなみにレースは、小川壮太や柴田(バッタ)さんが上位のハイスピードレースで、わたしも生涯ベスト2に入る善戦だったっけw)

Movie

正直、鳥肌みたいなものがたった。
なるほど、この馬鹿さ加減&裸踊りは、この様にかくして繋がっていくのだと確信した瞬間でも…。

わたしがメーンMCとしてスタートする、とにかく規格外のプロジェクト。
いわゆるネットをつかった山テレビ番組みたいなもので、すでに松本にあったUSTREAMチャンネルをヒントにした新しい試み。

精神的ハードルは高かったけど、ま、いつものこと「二つ返事」で決定。

 

 

この”やまちゃん”を分解し、いわゆる音楽バンドで例えると…

〇ワコタ:クロコでディレクター希望だったけど、結果はメインMCとして露出する番組進行のボーカル的中枢。ハッシー&カトリーヌという春夏秋冬毎週アルプスで本格登山をする凄いコンビと同行登山をし、コンテンツ化するなど、アルプス超リアル系シリーズ山動画をおもに作成
〇サブテン(大谷):山小屋&山事情にあかるい、この2人をつなげるきっかけのキーパーソンで、ライブ会場を毎度無償提供してくれるなどオーナーも兼ねる
〇ゆうじん:バンドでいうと交友関係のひろいギタリスト。山へ行く回数もメンバーではダントツで、動画コンテンツという曲を様々な人とコラボして大量生産する。カテゴライズが嫌いで、ボーダレスを信条とする、言い出しっぺ
罰ゲーム動画

やるからには、本気でやる。
なので、自分自身当時は移住後4年目のターニングポイントだったが、収入面で仕事を増やす選択肢をボツにして、自らの生活を超アグレッシヴな布陣と覚悟でこの”やまちゃん”をけん引することを決めた。

「おれの人生は遊びも仕事もいっしょ、いわゆるON/OFFはナシ。その覚悟でやるけどいいかな?」

いずれ、ゆうじん社長で会社にしよう、オカネは要らないのでべつの形で対価をくれればそれでよい、とにかく楽しもう、など、意気揚々とメンバー全員の仲も良好だった。こんなに背筋がぞくぞくとしつつも、楽しいことってあるんだな~と、出向く現場で動画カメラを向けて嫌がられることや、ネットを通しての悪口なんてどこ吹く風、とにかく根拠のない自信があったもの。
そして、つぎつぎにその目標が達成されていったのである。

いわゆるビジネスとしての相手も巻き込んでいくほど、手応えを感じていったのである。

2011年初冬にスタートして、2012~2014年にはマイナーな山岳業界(とくに私の担当していた走る系)の著名人とのコラボや、テレビでも放送したTJARの特集が奏功して、ブレイクスルー寸前。
スカイランニングの松本大をはじめ、奥宮俊祐や小川壮太など、コラボの輪が番組のたびにひろがっていった充実の時期だった。

しかし、光と影は例外なくここにも厳然としてあったわけで。
うすうす感じてはいたけど、すでに、メインのメンバー内では不協和音が…。

とくに、ワコタとゆうじんの確執は回をおうごとに悪化の一途。
とある回の番組スタートまえには乱闘寸前の口論も。
(一度、飲みの席で引っぱたいてしまってゴメン(反省)。手のはやさは、このときもこっぴどく周囲に咎められ自重です…)

ゆうじん
「おい、おれのコンテンツがいつもゴールデンじゃないのはなんでだ?」
「コンテンツづくりこれだけ頑張ってんのに、なぜ毎回快く受けない?」
「楽しむといってるわりに、オマエはいつもイヤな顔してんな?」
「おれの活躍が面白くないなら、オマエもそれなりにがんばれよ」

ワコタ
「ゆうさん色の番組にしたくない」
「おれは、まず自分が楽しみたい」
「立場上、社会からのバッシングを受ける過激なコンテンツはNG」
「〆切をちゃんと守れ」

動画コンテンツの6-7割はほぼ毎回ゆうじんが作成してたのと、メーカーやスポンサーからの声がかかりはじめた頃だった。
2014年春、共通理念再確認に迫られたその頃、2人のコンセンサスは見事破談におわった。
※見解は書く側に優位にはたらくものですよね。つづく

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