移住とデュアルライフでわかったコト


2009年1月からだから、かれこれ10年目となる松本と甲府ビジネスホテルの2本立ての暮らしである。
私が24歳くらいのときからやってきた本業が、IT系上場企業からの請けでやってきた中古車の目利き業という、
世にもめずらしい技術職の仕事だった。ま、ご縁で出会った仕事。
27歳で結婚し、その後独立して自営業でやってきて、36歳で移住を決断後マンションを売却し、辞職願いを
だして松本への完全移住を決行。目的は、人生をドラスティックに変えることだった。
(その話は長いのでまたいずれ…)

一旦、ゼロになった。

しかし、移住2か月前、思いがけず声がかかり、2008年4月から晴れて、東京と松本のちょうど中間にある
山梨県の一部を担当することに。

そのときの心境は、へぇ~こんなコトもあるんだ!?
と、一歩踏み出すと、こんな想定外のコトが起きることを実感したもので。

最初の1年は宿泊はしていなくて、その都度通っていた。
また、いまでは一人で山梨県全域のお客さんを受け持つにいたる。
といっても、仕事量といえばクルマの運転をふくめて、実質8-10h/2日間。さらに地方は都市圏にくらべると
移動やクライアント密集度など、低効率&低コスパゆえに赤字がでるのが常態化するのだが、
なぜだか売上・コスト面での双方において安定的な黒字を維持できているエリアになった。

その一因が、この週一ビジネスホテル暮らしである!

年間40回宿泊したとしても、10年で400泊。2日間なので一度松本に帰ったとすると、ガソリン・高速代でコストは
やはりあがるので、この宿泊は必要経費として容認されてひさしい理由がここにある。そのうえ、自分のクルマの距離も
低くおさえることができる。ただし、夕食代は家にいるときよりかかるが、私は一日1.5食なので許容範囲。
しかも、ホテルの美味しいバイキングでの朝食つきだ。(一日1.5食なので、たまにしか食べないが)

いまでは全国に150人くらいいる同業者のなかでも、期せずしてかなり魅力的なエリアを受け持っているのではないだろうか。
入札方式で募ったら、かなりの高値がつくこと間違いなし(笑)

なんて悦に入ってるようにみえるが、すすむ老眼、毎年の技術&学科更新試験、時代の変遷にともなう業界の縮小衰退、
その他で安泰なんてものはない。また、この10年稼げないこともおおかったし挫折もなくはない、よってかなりの綱渡りを
余儀なくされた。

お蔭で、精神的にはかなりタフになっただろうし、残りの日には、山をはじめ様々なタネを蒔き、ようやくその芽が
ポツポツとでてきたので、そこは今後たのしみである!

そろそろまとめよう。きょうは2点。
なんの取り柄もないわたしがとりあえずこうして10年やってこれたのは、仕事関連の人たちを別の同業者よりも、
もしかしたら、大事にしてきたからかも。それは金品を渡すとか、へつらうとかそんなもんじゃなくて、
風評や組織特有の利害に惑わされずに、自分のスタンスで付き合いをしてきたように思う。

もう1点は、移住もそうだし、このビジネスホテル暮らしもそうだけど、このネットが世界をカバーする時代になってから、
どこにいても人との距離をそう感じなくなった。なので、こんな必要最低限の荷物(甲府以外のときはもっと少ない)で、
もうどこへいても自分のシゴトや活動ができるというもの。実際、東京や長野県内でもよく外泊はするけど、どこにいても
パソコンと最低限の衣類などがあればコト足りる。

今後、AIがさらに進化して自動運転のクルマがリーズナブルになったら、もはや定住という概念さえおおきく変わって、
信州に小さな山道具用の倉庫をもっておけば、あとはフリーなんていかがだろうか?
シンギュラリティの前の段階であるプレシンギュラリティはもうそこまできている。
※シンギュラリティは調べてみてください

 

余談だけど、いままでの、生きるためにシゴトをする時代から、いかに生きるかにシフトする時代。
当然ながら、わたしの周囲ではまだまだ前者のスタイルが主流だけど、自分自身は2007年の決意からやみくもに試した結果、
曲がりなりにもこの10年、どう生きるかを実践でき、また生きるうえでの大事な”ナニカ”がすこしはみえたようにおもう。

金銭的に底をついたときは、もう一日東京でおなじシゴトすれば安泰するのに、敢えてお断りしてきた。
なぜなら、それじゃせっかく覚悟して動いたのに、それまでの人生となんら変わらないとおもったから。。。
その”ナニカ”がみえてくる可能性の芽を摘んでしまうじゃない?

もっというと、これからの時代はもしかしたらベーシックインカム論なんかが進展して、オカネのために働かなくて
よい時代が早々にくるかも。すると、あなたはなにをして生きていきますか?となる。
好きなことをすればいいと思うかもしれないけど、経験上、すぐに移行できるほど器用に人間はできてない様に思う。
まさに自由の不自由さ。イヤイヤ他人事じゃない。

ちなみに、わたしは週に2日しか働いてないと思われているけど、残りの5日間は”ナニカ”を実証、もしくは
みつけるための投資の活動であり、いわばシゴトみたいなものであると。
ただ、それに慣れるにはそこそこの精神的ハードルがあったのも事実。だって、働かざる者食うべからず、
みたいな風潮のなか生きてきたので、オカネをうまない活動=非生産的、もっというと”悪”みたいな(笑)
 
普通は、5日間あいてれば稼ごうとおもうでしょう。だからどんどんスケジュール埋めていくわけで。
でも、極端にいうとそれは戦後の特異な価値観であり、広く世界をみれば、また歴史をみればソレの方が異常だと、
どこかの時点で気づいたから、自分なりの時間の使い方をやせ我慢しながら実践してきたと!

また、週に5日は夕食当番もしてる。
なので、じつはあまり休んでないのかも…(笑)
あと、ありがたくも、パートでわたしより働く奥さんよりも当然おおく稼いではいる。そのうえでの5日間で。

こんなコトやってるとおかしな人、という目でみられてきたけど、10年経ったのでもう言ってもいいだろうと(笑)
まずは、10年まえの自分に、大丈夫だ言ったとおり10年なんとかなったゾ、と伝えたい。
しかし面白い時代になったものですネ!
さらに継続しつつ、失敗談ふくめ、シェアしていきたいと思う。

きょうも読んでいただきありがとうございます☆

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