【コラム】北アルプス常念岳厳冬期単独1FA~ “SHORT SKIMO”というNewモード vol.2/4

【Short SKIMOが生まれるまでその2】
(文・写真提供:田中ゆうじん)

 

私は、相も変わらずに南北に細長くのぼる松本・安曇平の東側に座する、筑摩山地の2,000m級の美ヶ原や鉢伏山へ、3月に入ってもスキーで登っていた。2009年から一人でチャレンジをつづけている、山岳スキー日本選手権という、スキーで登る・スキー担いで登る・滑るといった、成績こそ中庸であったが、そのキワモノ系のレースを終えるまでスキーブーツは脱ぎたくない、そんなことがなんとなく毎年の恒例となっていたからだ。

ワカンでもスノーシューでもない、やっぱスキーなんだよ…と一人気を吐いて、誰もスキーでは来ないような山のシングルトラックや、藪の濃いエリアをスキーで登っていると、さすがにハイクアップが上達したようだ。スキーアイゼンさえ着ければ、限界はもちろんあれど、わりと自由自在にどこでも登れるようになっていた。ただし、氷化した北ア針ノ木雪渓の急斜面などでびびるのは、いまも昔も変わり映えなしである。

2013年2月14日午前3時。北アルプス常念岳の麓にある“ほりでー湯”の先にある冬季通行止のゲート前に前述の3人は集合した。凛とした、張り詰めた空気。ゲートの先は閉ざされた冬の世界である。

2012年の厳冬期から数えて、常念岳へとのびる南東尾根・東尾根の偵察登山は、各々延べ3-4回はすでに終えていた。ただし、いずれも森林限界までが精一杯だった。なぜかといえば、ノイチ氏以外は普段アルプスを1DAYスピード登山してるので体力こそあれど、本格的な雪山の経験がすくなく、スノーシューまたはスキーから、ブーツアイゼン&ピッケルへと装備チェンジをしつつ、山頂を目指すアルパインスタイルだからだ。ゆえに、前常念岳手前の急な岩稜帯のルートファインディングやアイゼンワークは、まだまだ心もとない。

いっぽう、ノイチ氏にとっては、まさか厳冬期常念岳を1DAYでやることは夢にも思わなかったわけで。体力差を感じた昨年から相当に走り込んできていて、ゆえに一大決心をして挑む山行と位置づけをしていた。

三者三様、一発勝負というわけだ。

さて、登山スタイルだが、ノイチ・西田は登りも下りも当尾根にもっとも適合しているスノーシューをチョイス。もちろん異論なし。いっぽう私は、前日まで”考えたが”やはりスキーをチョイスした。スキーはそれまでに3度この尾根で試してきて、登りはスノーシューに時折遅れはするが、ラッセルでの有利性があり、藪や急登のスキーさばきはすっかり体得していた。また森林限界以降は、スノーシューやスキーはデポをして、ブーツアイゼンスタイルで登るので、まず問題なくいけると踏んでいた。

 

ではなぜ考える必要がある?

それは、スキーでこの厳冬期常念岳を決行するときの問題は、普通なら圧倒的有利であるはずの下りにあったのである。

以下に、当日の記録をまじえつつ、スキーの特性について考察してみたい。

 

登山道というものは、谷と谷の間にある隆起した場所、いわゆる尾根上につくることが多い。もちろん、水が流れる谷筋・沢筋といった尾根とは対称的な場所にもルートはおおい。どちらも、日照・風当たり・アップダウン・落石・滑落、雪山でいえば雪崩などの条件やリスクにおいては、一長一短である。

雪山を登る場合は、深く雪に閉ざされた夏道とはほぼ無縁の世界だ。雪崩の巣である谷筋ではなく、ルート選びもしやすく、雪崩リスクの低い尾根筋を登っていくことが一般的である。ただし、そこには夏に登山道が必ずしもあるわけではないので、木立が密集している尾根もあれば、また、沢筋と違ってアップダウンがあるし、細く切り立ったヤセ尾根の場合は滑落のリスクさえ高まる。それに、気温の低い3,000mの稜線で強風が吹けば、いわゆる”風”などと悠長なことを言っていられないほど、自然の脅威に曝され、凍傷、低低温や滑落を誘発する怖ろしいものに変貌するのである。

冬に北アルプスの稜線で強風が吹けば、体感温度がマイナス40~60℃なんてことはざらである。

さて、そんな常念岳を東尾根から約2,000m登れば、当然2,000m下りてくるわけだが、スキーのデポ地点から最低でも1,000mをスキーで降りてくる。これぞスキーの醍醐味!スノーシューで3時間かかるところを、スキーなら1時間でぴゅーっと!さらに、もしそこがゲレンデなら10分とかからないだろう(笑)

 

ただし、スキーをやらせてくれたらの話…。

 

常念岳東尾根は、おそらく古道があったと推測される平均して登り降りしやすい勾配ではあるが、スキーで滑って降りるとなると、登山道のない密集した木立ちは凶器そのもので、ターンをようやく切ったあとには、すぐ木が立ちはだかるという連続である。また、尾根どおしというのはどうしても、細かなアップダウンが付きもので、踵を固定したスキー滑走モードにしたのも束の間、気づけばカニ歩きや逆ハの字で登り返す始末。ゆえに、ブーツのみ滑走モードで固定して、踵のみフリーでゆっくりとボーゲンや横滑りで降りてくるスタイルが、もっとも山スキー上級者でない私たちが苦悩の末生み出した順当に降りてこれるスタイルではあるが、雪質・急斜面・木立ち・藪・大腿筋の乳酸・転倒と、やはり甘くはない。

その点、スノーシューはそんなスキーを横目に、ウサギとカメのカメさんよろしく、細かなアップダウンもなんのその、立ち止まることなくあたかも山頂に到達したあとの消化試合の様に、淡々と歩みをすすめる最速のマテリアルだ。

事実のこの日、約9hで山頂にめでたく到達した3人。厳冬期常念岳1DAYの折り返し地点である山頂では、いままでの労苦を嚙みしめつつも、ほんの3分ほどだが至福のときを過ごしていた。

しかし、そのなかにあってただ一人私においては、晴れ晴れとしない心境でこの先のスキーを慮っていた 。

(※もちろん、前常念直下のトラバースにおけるピッケル&アイゼンワークなど、気の抜けない箇所は多く、森林限界までは緊張の連続である)

 

「先に下山してて構わないよー」

 

森林限界からのスキーで、一発目に大転倒したわたしは、あとの2人に笑顔でそう告げた。

せっかくだから一緒に下山しよう、となんども言ってくれていた2人が、さすがに業を煮やして良いペースで下山をスタートしたのは、おそらく10回くらい転倒した頃だろうか。

いよいよ、ここからが勝負! 転んでもカッコ悪くても、1,800mの小ピークの先の疎林地帯で必ずスノーシューの2人をシュッと抜いてやる…。

 

じつは、この数年後にわかることだが、このときの私はブーツをウォークモード&スキーをヒールフリーで滑っていたらしく、少しでも後傾になるとブーツのカフ(ふくらはぎに当たる部分)がフレキシブルなので、たちまちバランスを崩して転倒するという繰り返しだったのである。

少なく見積もっても、この日30回は転倒しただろうか。度重なる転倒から、スキーの煩わしさに、それならと、ブーツで降りようと試みれば、たちまち雪面に股下まで埋まるという現実。まったく進まない…。

 

ときおり街がみえる。うちの子供たちも今頃下校の時刻だろうか。まさか、家で威厳に満ちたオトーサン?!である私が、こんな山ん中で不格好に転んでは起き、木に激突し、歩いては埋まり…という愚かな姿など、想像だにしないだろうな…。あ~あ、の心境である。

 

午後4時35分、彼らに一度も追いつくことなくほうほうの体でクルマに戻ってくると、ノイチ氏が待っていてくれた。

2人のクルマにあったチョコレートは、待ってるお子さんのために足早に帰った西田からの贈り物であった。

西田の15分後にノイチ氏、そしてその25分後に私という記録であった。

 

精神力・体力ともに使い果たした。もう登山はいい、というやり切ったときの心境も十分に感じている。

満身創痍であったが、気持ちは厳冬期1DAY常念岳をとうとう達成したという喜びで、晴れ晴れとしていた。

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