The memories “YUKARI NISHIDA” #1


2019年2月10日am8時頃か、日本のトレイルランニングシーン、いやその域をでたマルチな山岳プレイヤーである、
西田由香里(44歳)が天国へいった。厳冬中央アルプスを5人パーティで縦走中、とちゅうある一座にて、滑落とのこと。
※この記事は、ランダム&非論理的に、西田由香里ともっとも多く山へ入った(里山ふくめ、400回前後)
わたし、田中ゆうじんが記述する記事であることを、まえもってご了承ください。

2011年7月だったろうか、長野県長和町にあるパーキングでのひとこま。
西田「ゆうじんさん、はじめまして」
私「ども!」
その後、1st美ヶ原トレイルランの試走をするべく会場であるスキー場へ移動し、あらためてご挨拶を。

私「走りながら動画撮るけどよいですか?」
わたしのデジイチをおもむろに手に取って、「あっ!」といって落とすふりをする、西田由香里。

いっきに親近感をもった。見た目の優雅さとは裏腹に、ユニークなひとだな、それが第一印象だった。
(ただし、良い意味でワガママを地でいく人だった)


※写真は、おそらく2012年初冬の燕岳にて。レースシーズンが終わり、動画コメントを撮影してるとき

山にいけばいくほど、抑揚という緊張と弛緩を共有すればするほど、人間関係というものは、ある種のバリアがなくなり、
逆にこんどは、エゴがでてくるもの。
優雅、美人、朗らか、強い、魅せる、バランス、そのどれをももった彼女も例外ではなかったかな?

私の提案した厳冬期常念岳1DAYの下見に、常念南東尾根の2度目の下見を2人でスキーでしたときのエピソード。
ヘルメットをあえて持参しなかった私に、
「ちょっと!!」といって標高2,000mの厳しい雪山の尾根にて、わたしの胸を、”ガツンっ”と突いてくる。
おお、きょうはゴキゲン斜めですかい? 
※ちなみに、現在はBCスキーする際はヘルメットはしている

「コイツ、すげー生意気だな」とね。
しかも先方、鬼の形相である💦

わたし「おれはこれまで杜氏(西田もよく知る屈強な仲間)とはヘルメットなしで山スキーしてる。しかもきょうは尾根登山。
そのしばりってなんだよ?!」
西田「うちの山岳会ではそうなの!!!」
わたし「そのルールを、ここで突然持ち込むってどーよ??」
西田「……、とにかくダメ!!」

出会ってから1年6カ月、ちょうど今のような厳冬期でのことだった。
ただなぜか、この人は山におけるベストパートナーになれるかもしれないと思った瞬間だった……。


※写真は、2015年秋の涸沢小屋のテラスにて。
まったりなここも、超ハードな1DAYでという過密スケジュールがあってのこと。上高地や蝶ヶ岳越えの往復路は、
もちろんどっちが先にタレるかの本気のバトルである。
そんな事情もふくめ、山&子育てと家事といった両立を、いわば平然とこなしてたのだった。
そのじつ、かなり努力していたのはいうまでもなく。

さて、2011年8月、新穂高から三俣蓮華‐高天原‐雲ノ平-祖父岳‐三俣蓮華‐新穂高というロング1DAYを4人で。

登山の準備には超入念に計画をする彼女らしいエピソード。それは前日のメールのやりとりだった。
べつのクルマで一人でいくし、MTBがないので折りたたみのチャリもっていくよ、というわたしの提案に対し、
超親切にあれやこれや、まるで母親のように指南してくる丁寧さだった。
「うちの旦那のMTBもってこうか? レンタルするなら穂高駅前だね」とか、写真付きでやりとり。

折りたたみチャリでの未舗装路下山の際は、バランス危ういわたしを、コイツあぶね~とおもったか、20mまえを先行して、
いちいちギャップを指さしてこちらに伝えてくる、とても丁寧で優しい人だったな。
ちなみに、元MTBレースでも活躍していたことは、周囲から聞いていた。

これは後日談だけど、その、いちいちどこかべつの行動をとったり、折り畳みチャリで平然と往復する私のスタイルを
好んでくれたのか、
「ゆうじんさんは、器用でかつヘンな人だね!」とあかるく言われたっけ(笑)
じょじょにお誘いをうけた。

2011年11月だっただろうか、
わたし「国内初の山岳系WEB-TVをここ松本でスタートする。よかったら手伝ってくれないかな」
西田「りょうかいいたしました」と二つ返事。

10月に、栂海新道1DAYをやって、ついで電車で中アの空木岳。
その後は八ヶ岳の赤岳&BBQをみんなでやったあとに伝えたことだった。


※栂海新道1DAYは、西田いわく「こんかいは、ゆうじんさんに完敗」という登山だったっけ。
その後は、わたし連戦連敗て💦

その後、当時無名だった西田由香里は、マイナーといえども光り輝くトレイルランニングシーンにおける
スターダムへの階段を駆け上りはじめたのだった。もちろん、彼女のそれまでの努力が奏功した結果である。

ちなみに、栂海新道1DAY直後のハセツネ(日本山岳耐久レース)では入賞し、この前年の棚ボタ入賞とあわせ、
ここから彼女の快進撃、いわゆる”西田由香里劇場”が幕開けしたのだった。
※交流のある人はご存知かもしれないけど、本人は、「はぁ~?」というまったくもってマイペース(笑)

西田「いまゴールしました!お蔭様で入賞できました」と、
真夜中にもかかわらず普通にメールをしてくる勝手ぶり(笑)

とにかく、当時はめずらしい動画をいちはやく?やっていた私の提案には、
コマネチ!!ポーズをしながら幼い娘と出演してくれるなど、ユニークなお人。

山でこちらが調子よく、たま~に勝つことはあったし、ファーストビッグクライムは大体わたしが先行していた。
また、こちらがやる、家から常念岳へ走って行って戻ってくるスタイル”家常念”など、すぐに自分も試すなど、
参考にしてくれることは多かったけど、彼女の山やトレイルに対する情熱にはまったくかなわなかった。
もちろん、ロングになればなるほど強靭な耐久性と持久力、なによりメンタルの強さがずば抜けていた。

そして、その彼女の情熱が2011年のハセツネをはじめ、2012年の新城、UTMFを皮切りに、超上昇フェーズに入る。
 
もうあなたのその情熱には追いつけません。

わたしは番組(Mt-channel:やまちゃん)や、やるべき仕事をそれにつなげることを優先するべく、
彼女の山岳パートナー&プロデューサーというスタイルを自分のなかで決めたときだった。

つづく

☆いつも読んでいただき、ありがとうございます☆

田中ゆうじん

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