初めて会ったのは、1998年の1月頃で、年齢は21才の愛猫のみい(♀)
私が故郷である東京狛江の多摩川沿いで一人暮らしをしていたときに、実兄から半ば強引に渡された三毛ネコ。
まあ、幼い頃よりうちにはネコがあまり途切れることなくいて、とかく次男のわたしと母が面倒をみていたのを
知ってたのだろう。
みれば断らないだろうと(笑)
ソフトボールほどの大きさで手の平に乗る、長毛でシッポが短い三毛猫のノルウェジアンフォレストだった。
※2011年からフウタと二匹になったけど仲は悪かった。ただし、死ぬ一日前になぜか寄り添ってたそうで。不思議なものです
その後、わたしは結婚して子供が二人ができ、子供が育っていくときも、家を買って引っ越すときも、信州へ移住するときも、
山へ行ってるときも、海外行ってるときも、ウツクシやってるときも、とにかくずーーーーっといたんだなぁ~と。
ここ数年、冬はわたしの暖かい部屋にきて、股間のとこで丸くなってたな(笑)
今回、みずから主宰者となったRUN&BEER NAGAWAというイベントが一日後に迫った10.12㈮。
開催地である長和町入りするために、甲府のシゴトを調整できて時間的余裕がうまれたので、松本空港の周りをジョギング後、
家のドアを開けた瞬間、
「そうだ、ミイがもしかしたらもしかしてるかも…」と。
リビングには、ここ数日ずーっと寝ていたソファに登るべく、段ボールのステップをつくっておいていたんだけど、その段ボールに
登るとちゅうで息絶えていたミイがそこにはいた。最期、ソファに登れなかったんだなぁと。
※長女が撮った写真
家族が家をでて、わたしが入れ違いで帰ってくる90分の間だったと容易に推測できた。
死後硬直ははじまっていたけど、まだ体の温もりはさっきまで生きていたことを痩せた体をとおして伝わってきた。
家族へLINEで知らせると、娘がすぐ帰ってくるという。遅れて息子もだと。
イベント準備がまだまだ残っているのと、昼前には出なきゃいけないので、帰ってこないでいいとは言えなかったから、
まあ自然とそれも受け止めた。
長女が帰ってくるまでの1時間、やらなきゃならない仕事が手につかず、その硬くなりつつあるミイの亡骸をずっと抱いていた。
いい歳して情けないけど、涙はもう涸れた。
21年の歳月か、ながいね……。
10.13-14とイベントが終わり、14日の昼過ぎに家族のみんなで火葬を見届けた。
もう一匹のフウタ(8才の♂)が珍しい皮膚ガンで余命あと数週間のなか、まさかミイがさきにいくとは思っていなかったな。
家で飼わなければこんな長寿にはならなかっただろう。それがミイにとって良かったかどうかは知る由もないけど、間違いなく
家族の一員としていてくれたし、当たり前のようにそれそのものが生活であった。
誰よりも自分がスキンシップをしてきたし、面倒をみてきたつもりだけど、子供たちにはしっかりと面倒をみるように課して
いるので、最近はそれも減っていたようにおもう。
また、もう一匹のフウタが来てからの8年と、とくに晩年は粗相がひどく世話をするのが本当に大変だったけど、それもこれも
いまとなってはどうでもよいこと。
いままで飼ってきたネコで一番長い時間をともにしてきた。長年つかってきたミイの食器はもうしまった。
なんかうまく書けないけど、家族の皆にもしっかりと受け止めさせたし、みおくることができて良かったと思う。
家族との死別はとても辛いけど、間違いなく心のなかで生きつづけていくとおもうので、辛いのもいずれ晴れるだろう。
※もう会えないかもとおもって撮った最期の写真
しかし、自ら主宰をつとめるイベントという大勝負の前日に天国いくなんて、なんか因縁を感じたな~^^
いつも読んでいただきありがとうございます☆