栗城史多というヒトの死

仲間がやっていた”ドキュウ!”というWEBマガジンの取材に応じる氏

 

栗城氏の形容として、登山家としての3.5流は言い得て妙だとおもう。

ただし、エンターティナーとしては、1流だったんじゃないかと。

彼は死んだけど、その死も、とちゅう経過も、好/悪影響をみる者にあたえた。
どちらの影響も、いいものだと思っている。

なぜなら、それみて自らをひるがえり考えるキッカケになるのだから。
粗野な言い方だけど、スパイスだ。KURIKI
それくらいインパクトはあったし、批判の嵐はあったろうけど、彼は結果つづけた。
だって、たとえ世にゴマンとある陰での正論からは、なにも影響うけないでしょう?!

わたしは、そんな”エンターテナー”をひろい意味で称賛する。

THANKS, Mr.KURIKI

コメントを残す