試練は重なってくるというけど…

死別は、この世に人としてうまれてきたうえで、もっとも酷な業の一つであるとおもうのです。

自分自身、父親が45歳のときに生まれたので、物心ついた後、小1のときにはすでに、
「うちの、おとーさんは50歳なんだ」と、家庭学習の営業さんとお話してたな(笑)
“ちからノート”という学習だった。
ちなみにお袋はもっと若くて、神奈川で一人暮らしをしつつ健在で、愚痴や悩みはたまに次男のわたしが電話で聞いている(笑)

その、昭和元年生まれで、太平洋戦争を知ってる親父も7年前に死んだ。
南方ラバウルでの話は、幼い頃からよく聴いてたな。

オヤジの小説書こうと取材しはじめたとき、すでに尿漏れとかそんな感じだったか。
移住する際も、経済的と孫をみせてやるといことで、よくクルマで通ってたけど、言うと悲しむのはわかってたので、
移住する1週間前に言った(笑) いままでと変わらずにまた来るからよ!と。で、すぐにまた頻度こそ落ちたけど通ったな。

そして、20年まえの一人暮らしのときからいっしょにいる猫の「みーさん」も、一昨日から、いよいよだな~、
という感じで、ヨロヨロ歩き、粗相をし、きょうからオムツの猫となる。

で、もう一匹のフータは、今年3月になんだか不調なことから男性のシンボルを切除したんだけど、引っ越し後さらに悪化。
幾度の手術と通院の末、2週間前に先生から告げられた言葉は、ガンです、と。
その時点で余命は一か月。

こちらは、2011年2月に週二で仕事にいく甲府の業者さんからお願いされて、引き取った元野良ネコ。
さいしょに、風の強い日に会ったので、風郎(かぜろう)とネーミングしたが、風太とすぐに改名。
その数日後、あの3.11という未曽有の大震災が起こった。

珍しい皮膚ガンで、なんど手術しても腫瘍が肛門のまわりで硬化し、それが邪魔して大便がでない。
食欲はあるので、だしやすいように柔らかいものに食事をチェンジしたけど、結局でないので、リバースするわけで。

みてるのはやっぱ辛い。

でも、そこから2週間以上、すこしやつれながらもたくましく生きている。
葛藤の毎日。先生に頼んで、うんこをまた麻酔して人為的にだしたほうが、もしかしたら快復の突破口になるんじゃないか?とか。
ただ、繰り返しかもしれませんね、と。

いつも思うけど、とくにネコにかんしては、こちらが勝手に、ガンだ食欲不振だ、粗相だといってるだけで、彼らには
そんな概念はないのかなともおもっている。


※8年いっしょにすごしてて相容れない仲だったのに、こうしていま、不思議ですネ

自分自身、保育園行ってたときからつねにうちにはネコがいて、なにかあると自分がチャリンコの荷台に段ボールしばって
猫いれて、病院に連れていってたっけ。何匹のみとってきたし、悲しいおもいは数知れず。

だから、強く前向きにとらえなさい、と、家族3人には酔っぱらったついでに言っている。
そうはいっても、ペットロスは人に相当な影響をあたえるんだけどね。

山はホント不思議。色んなものが治癒します♪

田中 ゆうじんさんの投稿 2018年10月9日火曜日

縁あって、わたしが代表をつとめるイベントが週末に迫っていることもあり、猫のコトもふくめストレスフルな一か月はやはり
相当に影響があったのか、持病である痛風の発作が先日起きた💦

痛風の症状を自分なりに説明すると、患部の骨を、脈のたびに折られようと捻じ曲げられている状態だ。

なんだかなぁ~、と自分でもおもうけど、こんなこと吐露してもいいでしょう?
自分にとってのあるしゅ駆け込み寺でもある山に行けないのはつらいけど、ダウンしても立ち上がるぞ~^^

いつも読んでいただきありがとうございます☆

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